新栄堂 オンライン講座 サンプル

第一講

目次

  1. 占いについて
  2. 四柱推命について

【2】占いについて

占いは、世界中に200~300種類あると言われています。その中で、四柱推命は東洋五術の中の一つです。東洋五術には下記の5つのものがあります(①~③までが占いです)。

  • ① 命(めい)…(推命)、四柱推命・紫微斗数・etc …宿命の分析。
  • ② 卜(ぼく)…(雑占)、断易・周易・タロット・etc…物事の成敗・吉凶・得失。
  • ③ 相(そう)…風水・観相(顔相・相)etc…有形なものの吉凶。
  • ④ 医(い)…漢方薬・鍼灸…中医学
  • ⑤ 山(ざん)…心身鍛錬法(呼吸法)

【3】四柱推命について

「四柱推命学」とは、その人の生年月日と生れた時間によって、その人の性格や運勢を読み取ろうとする運命学です。「四柱推命学」は中国生れの占術ですが、中国生れの占術の殆どは、「陰陽五行の原理」に裏打ちされています。
四柱推命学」では、人は生れた瞬間に「気」を禀けて地上に生れると解釈しています。その禀けて生れた「気」は、生れた年月日刻の四つの干支として表され、「四柱八字」となります。この「四柱八字の干支」を基にして、命式表という運命の設計図を作成し、その人の「命」=天命・運命等を推理する運命学を「四柱推命」といいます。
年の干支を「年柱」、月の干支を「月柱」、日の干支を「日柱」、時間の干支を「時柱」とし、四つの柱で運命を推理するので、四柱推命と言われています。
また、「四柱推命学」は数多い運命学の中でも最も高い的中率誇り、「運命学の帝旺」とも呼ばれ、特に宿命的な感覚の強い運命学でもあるようです。
日本では四柱推命と呼ばれていますが、中国では「子平」「三命」「命理」「八字=パーツー」、英語圏では“Four Pillars of Destiny”もしくは“Four Pillars Astrology”と呼ばれています。

「四柱推命学」の基本である干支(天干・地支)は既に紀元前の夏代~殷代(BC2050~1050頃)には、使用されていた事実が認められていますし、占術としても干支が使用されていましたが、人の生年月日の干支からその命運を占断する「四柱推命学」の基を始めて作ったのは、中国・唐代の大夫 李虚中であるとされ、李虚中を以て「四柱推命学」の祖とされています。しかし、李虚中の頃は年月日の三柱での判断で、しかも今日の四柱推命学の様に日干を中心とするのではなく、年を中心としていたとされています。その後、五代から宋初にかけての人物である除子平が、人の生れた日を主として六事に分かち、更に生れた時刻の干支を加えて「四柱八字」とし、今日の四柱による推命学の原型を完成させたのです。後世の人々はこの中興の祖というべき除子平の功績を讃えて、四柱推命学のことを「子平学(術)」又は「子平の法」などと呼ぶようになりました。その後、同じ宋代の徐升なる人物が徐子平の法を研究し、その成果を踏まえて『淵海子平』の書を著しました。この書が今日の四柱推命学の原点とされています。その後、元・明・清の時代と発展を続け、特に明初の時代の劉伯温の『滴天髄』、沈孝瞻の『子平眞詮』、万育吾の『三命通会』、張楠の『神峰通考』等が知られています。

日本には江戸時代中期に移入された。文政年間、仙台の儒学者桜田虎門が『推命書』という名称で『淵海子平』の訳本を出したのが、考証的に最古の書である。しかし桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われており、翻訳の質の点では疑問も残るとする評価もありました。
その後、明治・大正・昭和期に松本義亮(よしあき)、伊藤耕月、阿部泰山、高木乗、板井祖山、朝田啓郷 等の多くの研究者が現れ、今日の四柱推命学の基礎が築かれています。その中でも「西の阿部泰山、東の高木乗」といわれた両氏の功績は非常に大きいものです。阿部泰山は1913年(大正2)に、『四柱推命大奥極秘傳』を刊行し、高木乗は1930年(昭和5)に、「命理学会」を設立しています。当流派の安田靖先生は、この高木乗の流れを汲んでいます。

現在、泰山派など主な流派では、「蔵干」を中心に判断がなされていますが、高木乗は「五行」と「天干星」を中心に判断していました。また、大運の出し方と運用方法に違いが見られます。泰山派等では「十年運」、高木乗派は「各年運」を採用しています。また、従来は吉神と言えば「天乙貴人」を最も重要視していましたが、高木乗は「天徳貴人」を重要視し、今まで吉凶星(神殺)の一つでしかなかった「天徳貴人・天徳合」を天佑神助の星として掘起したことは高木乗の功績の一つであろうと思われます。この事を故・朝田啓郷氏などは「子平以後の大発見」と評価しています。

初代・高木乗に師事し、その法を受け継がれた安田靖先生は、高木乗流をより発展させ、秘伝的でもあった「五行による推命学」を近代的に整備され、自ら発案された「安田式・五行図」を用いることにより、分かりやすく、且つ的中率の高いものとして新時代の推命学を確立されたのです。これを安田靖先生は「五行推命」と命名されています。また、豊富な鑑定データをもとにして、コンピュータで統計を取り、その分析結果を元に、枝葉の多かった従来の四柱推命学を整理され、五気五行を中心とした近代的な四柱推命学の研究と普及に努められました。(この「近代的な」と言うのは、神殺や空亡などの枝葉的な部分を極力排除して、よりシンプルなものにされたという意味です。)

●「星」について…
四柱推命でもよく「○○星」というように、「星」という言葉を使います。ここで言う「星」とは、西洋占星術で使われている「星」とは違います。西洋占星術などの「占星術」系の占術では、実際の天体を使い、その天体の位置によってホロスコープを作成し占うわけですから、この場合「星」とは実在する「天体」のことです。しかし、四柱推命などで使われる「星」は、実在する星ではなく、ひとつの記号であり、「はたらき」を象徴したものです。ですから、これを西洋占星術などの「実星」に対して「虚星」という言い方をする場合もあります。
英語でも「悪い星のもとに生まれた」と言うのを「Born under the bad sign」と言いますが、この「sign」(サイン・記号・符号)に当るのが四柱推命における「星」であると言ってもよいかも知れません。即ち、一つのサイン(暗示)なのです。